2012年01月05日

3年

思春期の3年間は長い。
荒れに荒れる者もいるが、人生の何かを見つける者もいる。
大病を患う3年間も長い。
余命3年をもし宣告されたとしても、そんなアバウトな宣告、
たぶんそのまま生き永らえるのでは・・・。
実家の犬は6歳から9歳になった。
中年から初老になった。

そんな3年間のブランク。
AOLブログはとっくに閉鎖されてしまったらしい。
そもそも3年ぶりに書いて、だれか読んでいるのだろうか。
まあよい、すすめる。

3年前、父が心筋梗塞で倒れた記事以来とは、随分なおはなしである。
当初、その記事の後が続かなかったため、
一部では「家庭の事情」で終えてしまったのではないか、と心配された。
だが、なんのことないはない、ただの怠慢で書かなかっただけだ。
父は若干影響を残しているものの、
相変わらず、口煩いじじいで健在だ。

いきなり再開も失礼ってものだ。
とりあえず、3年間をだいたいの時系列で、
だいだいの出来事をなんとなく書いてみる。

父が倒れた時、何気に失業中だった。
やることがなく、毎日図書館で片っ端から雑誌を読み漁っていたが、
そろそろ失業保険が切れるころ、転職した。
ある意味、ベテランの域の転職回数、特筆なし。

当時、ごみ屋敷と化していた部屋で、
ベット以外にいる場所がなく、
布団の中でビールとスナック菓子がブームに。
1年で約10キロの激太りを記録。
以降、その体型を奇しくも忠実に維持している。

10年住んだ荻窪から千葉県に引っ越す。
結婚をし、たまたま海外に親戚ができたが意思疎通が難しい。
片付けができないわたしはまるで家宅捜査かといわんばかりの段ボールを
新居に持ち込み、2年過ぎた今でも片付けができないでいる。

JR松戸駅のホームから転落する。
人様に多大なご迷惑をおかけし、
以来、外で飲む機会が激減する。
いや、誰も誘おうとしなくなった。

例の大震災が起こり、まんまと帰宅難民になった。
翌日帰宅すると、高い食器ばかりが割れ、安い食器ばかりが残った。
その後、原発から200キロ以上離れているくせに、
ホットスポットであることが判明。
わざわざ新潟で水用ポリ容器を買ったり、
しばらくマスクして外出してみたり、右往左往する。

子供が生まれた。
人生というか、軌跡というか、ちょっとまとまった感がした。



3年間を書いてみた。
さあ、これで3年間を総括し終えて、
またしのいちブログを再開するんだよ。
なんて、虫のよさでいいのかな。

いいんだよ、またどうせ無責任な更新の仕方なんだし。




posted by しのいち at 00:59| 東京 ☁| Comment(6) | TrackBack(0) | いろんなオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月14日

チチタオレル

ちょうど1週間前。

急な出来事だった。

日曜日の夕方。
わたしのケータイに母から電話が入る。
元気にしているの?
ケータイのディスプレイを見ながら
そんな内容だろうと思いつつ電話に出ると、
母のトーンに神妙さを感じた。

「お父さんが心筋梗塞で倒れて運ばれたの。
今すぐに来て。」

「え?わかった。」
私はそれだけ答えた。
いや、急なことでそれだけしか言えなかった。
そうか、じゃあ今すぐに帰らなくては。
外にいたわたしはとにかく近くの駅から電車に飛び乗った。

イマイチ状況がピンとこない。
タオレタ?
シンキンコウソク?
言葉が変換されない。
今日が返却日のDVDを返してから帰ろうか。
着替えとか用意をしたほうがいいのか。
そんなことを最初に思った。

だが、電車の中で母の言葉が変換されていく。
「心筋梗塞で倒れた」
わたしの知っているところによれば、
心筋梗塞は脳にまわると半身不随や言語障害の可能性、
下手をすると死に至る、
そういう病気である。

おぼろげながら状況が見えてきた。
DVDや着替えなんてどうだっていい。
一秒でも早く帰らなくては。
父は意識があるのか、
話すことができるのか、
それとも何もできないのか。
病院にいる母のケータイにこちらからは繋がらない。

新幹線に乗ったものの、
一駅ごとに停車時間が長い各駅停車に腹が立つ。
ようやく、駅に着き、タクシーに乗る。
駅から駆け出してきた姿を見て
タクシーの運転手は尋常ではないスピードを出してくれた。
タクシーの中、母と連絡がついた。
集中治療室にいると言う。
どんな状況なのか。
病院に着き、すぐさま集中治療室へ。

すると、手術は終わったようで、
父には沢山の管が施されているものの、意識がある。
「お前、大丈夫だから東京に帰れ。」
といつもの父の調子。
「何言ってんだよ、この病人が。」
いつもの父でよかった。
思わず、それまで張り詰めていたものが一気に緩み、
ポロポロ泣いてしまった。
絶対安静だというのに、
暑いだの、起き上がりたいだのと
いつものうるさい父であった。

母の説明によれば、
119番通報も搬送も早かったのが
功を奏したらしい。
往々にして、こうした緊急時に
119番の前に家族や親族に助けを求めてしまう人が多いらしい。
割と冷静さを保つのが下手な母であるが、
よくぞ息子たちへの連絡を後回しにしてくれた。
母に感謝である。

1週間経ち、一般病棟に移った。
毎日、母と下らないことで喧嘩をしているらしい。
と、母は愚痴るのだが、
これもいつもの父と母。
とりあえず一安心である。

正月のニューイヤー駅伝や箱根駅伝、
その他諸々各種スポーツ、
来春も文句を言い合いながら、
観ることができそうだ。















posted by しのいち at 22:52| 東京 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | いろんなオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月04日

母校が逝く

自分が育った学び舎がなくなる。

時代の変化と共にこれは避けられない運命。
少子化や過疎化は簡単に解決できないのである。
私はかなりの田舎育ちで、
以前に出身小学校のへき地ぶりについて、
語ったことがあったが、
全校生徒が10人足らずになった今でも
なんとか存続しているらしい。

だが、何気なく夕方のニュースを見ていたら・・・。

「八王子自動車教習所倒産に受講生が殺到」とのこと。

実は、この八王子自動車教習所、
私が大学時代に通った母校だったりする。

今から12年前、この教習所を選んだ理由は単純明快。
大学から一番近くて、
家のそばまで送迎があり、
しかも費用が安いことだった。

この教習所の売りは「教習車がベンツであること」。
実際にベンツが使用されるのは
高速教習の時だけだった。
ウィンカーやライトの操作が
普段使用している国産車と異なり、
運転がおぼつかなくなるだけで、
どうでもいいことだった。

私はこの教習所を卒業するまでに
10ヶ月かかった。
2〜3週間で路上教習まで進んだものの、
学生特有の原因不明の怠惰によって、
その後8ヶ月無視。
親に諭されて期限を意識して卒業に至った。
(当時は1年間が教習期限だった。)

別に卒業後、
クラス会や同窓会がある訳ではない。
ましてや名簿なんてない。
嫌いな先生(教官)は居ても、
保健室や体育館裏での恋愛はない。

それでもなんだか切ない母校の倒産。


あのベンツ、5ナンバーの小ベンツだから、
売ってもあまり値がつかないんじゃないかなあ。
posted by しのいち at 02:52| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事ネタのオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月08日

もらいグマ

とあるニュース番組の特集である。

山間の小さな町がある。
人口数千人程度で町の主な産業は農業、
高齢化、過疎化が進んでいる。

そんな町が今にわかに活気付いている。

さきに行われるオリンピック、
とある国がこの小さな町でキャンプを張るという。


町中の所々には国旗が掲げられ、
駅前には「歓迎!」と書かれた横断幕。
食堂ではその国にちなんだ定食がバカ売れ。
歓迎ムード一色である。

だが、町役場の担当者はあまり顔が浮かない。
選手団からある要望をされていて、
それに頭を悩ませているのだという。

その要望とは「クマを集めること」
その国のスポーツ選手には「クマ」は欠かせないのだという。

町役場の担当者は、
すぐに町唯一のおもちゃ屋で
クマのぬいぐるみを買い占めた。
しかし、クマのぬいぐるみはわずかに5体。
選手団は100人近く。
とてもではないが足りない。
なんとしても、このキャンプは成功させなければならない。

そこで町はある手に出た。

町役場の職員が総出で一軒一軒家を訪問していく。
「押入れに眠っているクマはありませんか」
そう言われた住民たちは一様にキョトンとするものの、
それがオリンピックのキャンプのためだと説明されると、
記憶の限り、押入れや納屋を探し、
「クマ」を引っ張り出してきた。
もちろん、「クマ」を提供してくれた住民には
それ相応の対価を支払う。
町では「もらいグマ」に協力を呼びかける。

老人がインタビューに答える。
「そりゃあ、嬉しいですよ。
まさかあんなクマが役立つなんてね。
もう何十年押入れに眠ってたことか。
それにお小遣いももらえるし。」
住民の評判も上々である。

最後に町役場の担当者が締める。
「選手たちには頑張ってもらって、
メダルを取ったら、是非表彰台にクマを持って登ってほしいですね。」



むろん、この話はフィクションである。

が、わたしが実際に見た夢の内容。
一体何を考えているんだか。
わたしのあたま。






posted by しのいち at 00:42| 東京 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | いろんなオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月13日

拝む人

駅から我が家へ帰るルートはいくつかある。

100円の惣菜が50円引きで
たったの50円になってしまう
破格なショップ99の前を通るルート。

必ずと言っていいほど
バンドマンがレジを打っている
やっぱり無愛想なサンクスの前を通るルート。

元酒屋が意地を見せる
酒の種類が酒屋並みのスリーエイトの前を通るルート。

だがどのルートを選ぶかに
コンビニはあまり関係なく、
食事する店の位置から決める。

そして今日はたまたまスリーエイトの前を通るルートだった。

スリーエイトでビールを買い、
店を出て、帰り道の途中、
八幡神社の前を通る。

その八幡神社はそれほど大そうなものでもないけれど、
通りの名前は「八幡通り」と言うだけあって、
それなりの存在感を醸している。

夜12時前、
明かりは街灯だけ、人も疎ら。

そんな八幡神社の前で
じーっと手を合わせて拝んでいる女性がいる。
鉄門は閉ざされており、
中に入ることはできない。
その女性は持っていたであろう紙袋を下に置き、
路上で本堂に向かって拝んでいる。

仕事帰りのOLだろうか、
目を閉じて拝んでいるその姿は真剣そのもので
酔っ払った勢いやふざけているようには感じられない。
わたしもその姿をじっと見ているわけにはいかなかったが、
10秒ほどはそうしていただろうか。

すると、お願い事が終わったのか、
すっと目を開き、紙袋を持ち上げ、
何事もなかったかのように、
わたしとは反対方向へ颯爽と歩いていった。

その女性は深夜の神社参りを日課にしているのだろうか。
それとも今日はどうしてもお願いしたいことがあったのだろうか。

いずれにしても悪いことではない。
神社は初詣や祭りだけのためにあるのではない。
それ以外の日にも365日毎日そこには神社がある。
別になんでもない平日や深夜にだって
拝んではいけないなんてことはない。
と、思いながら家に着いたわたしは
明日は自分も拝んでみようかなと思ってみた。

posted by しのいち at 00:50| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | いろんなオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月25日

ほったらかし

流しの下の奥のそこ。
母はせっせとかき混ぜる。
流しの下のヌカ床は
いつもおいしいヌカ漬けを食卓に提供してくれる。
それなのに母以外の家族は
そのヌカ床のことを気に留めない。
それどころか、臭いアレはなんだと言われる始末。
それでもヌカ床は毎日かき混ぜられる。
美味しいヌカ漬けのために。

しのいちのブログ。
昨日も今日も書かれない。
きっと明日も書かれない。
いいネタを仕入れたって書かない。

漬物はただ漬けとけば漬物になるわけではない。
常に良いコンディションにしとく必要がある。

いい文章。
それはコンスタンスに書いていないと生まれない。

しのいちブログ、今日はやってるよ。
posted by しのいち at 23:54| 東京 ☀| Comment(5) | TrackBack(0) | いろんなオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月30日

隠し玉成功

 ソフトバンクは29日、オリックスが契約を結ぶと発表していた元巨人のジェレミー・パウエル投手(31)を獲得したと発表した。 
 パウエルは01年から近鉄でプレーし、02年には17勝を挙げて最多勝などのタイトルを獲得した。06年に巨人に移籍、昨年は右ひざ故障で登板7試合、未勝利に終わり、退団していた。
 オリックスは今月11日、単年契約5500万円プラス出来高払い(推定)で獲得したと発表。背番号も「50」に決まっていた。
 ソフトバンクが獲得を発表したことについて、オリックスの広報担当者は「そのような話は聞いていない。早急に確認する」とコメントした。
(毎日新聞)


意表をついた選手の獲得。
それはドラフト会議だけのことではなかった。
ソフトバンクはオリックスに悟られないように
水面下で動いていたのだろう。

にしてもオリックス。
背番号50まで用意して、
契約書はファックスのみって・・・。

その前にパウエル。
一番悪どいのはあんただ。
posted by しのいち at 00:21| 東京 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 時事ネタのオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月23日

布を調える

調布。
わたしが大学時代2年間住んだ街である。
新宿まで15分、渋谷まで20分。
駅前にはなぜか八百屋がテナントに入るパルコがある。
少し足を伸ばせば多摩川がある。
夏の日にビールと本があれば、
草野球を眺めながら一日はいることができる。

わたしが調布を離れてからちょうど10年。
その後、仕事で行ったことはあったが
基本的には用のない街となってしまった。

日曜日、特に深い理由はないのだが、
雪が降るのでないかと言われるような寒さの中、
多摩動物公園に行った。
その帰り、メシにするために調布で京王線を降りた。
10年前と何が変わったのか、確かめたい気持ちもあった。

北口を降りて、最初に思ったのは、
当時友人が来ると必ずと言ってよいほど、
薦めていたラーメン屋「江川亭」が無くなっていた。
店が無くなっていた・・・建物そのものがなくなっていた。
そこには何もなかったかのように道路となっていた。
在りし頃、角煮ラーメンは絶品だった。

メシはよく行っていた居酒屋と決めていた。
何かがとても美味しい居酒屋。
でもその何かが思い出せない。
とりあえず記憶にある道を歩き、店にたどり着く。
ビールを飲みながら食べ物を注文する。
メニューには珍しいことにハヤシライスがある。
そこで思い出す。
美味しい何かはオムライスだった。
で、さらに後で思い出したのだが
そのオムライスにかかっているデミグラスソースが美味しい。
ついでに思い出したのは
そのオムライスを出してくれるのは
居酒屋と同じ系列の洋食屋。
その洋食屋はこの居酒屋の隣。
本当の目的地まではあと10歩足りなかった。

食後、布多天神に続く商店街を歩く。
10年前、毎日歩いた商店街。
この商店街には「ゲゲゲの鬼太郎」のオブジェが置かれている。
確か、水木しげるが調布在住のためである。
Image142.jpg
10年前にも鬼太郎のオブジェがあった。
心無い酔っ払いによってよく壊されてもいた。
当時に比べて立派になったように思える。
ここまで立派では壊そうにも恐れ入る。
ただ、見かけることができたのは鬼太郎だけ。
昔はぬりかべもねずみ男もネコむすめもいた。

その他、よく1杯のコーヒーで2時間粘ったドトール、
夜だけ中華料理を出す定食屋、
店は好きではないけれど担当が大好きだった美容室、
それぞれがまだあることを確認した。
いつまでも調布で思い出に耽っていても仕方ないので
いい加減に帰った。

少しでも住んでいたことのある場所はプチ故郷。
たまには帰省してみては。
posted by しのいち at 00:23| 東京 ☀| Comment(6) | TrackBack(0) | いろんなオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月21日

根性と気合の解説

 現役時代は阪神、大洋(現横浜)の俊足外野手として活躍し、明るい性格を生かした野球解説で知られた加藤博一さんが21日、肺がんのため、56歳で亡くなった。
 3人の俊足選手が並んだ1985年の大洋の「スーパーカートリオ」で、加藤さんは主に2番打者。1番を打った高木豊さんは「兄貴のような存在だった。昨年の手術の後、いったん回復され、一緒にゴルフもした。その時『来年(2008年)はバリバリ(仕事を)やる』と話していたのに…」とその死を悼んだ。
 70年に西鉄入りした後、なかなか芽が出ず、相手投手の癖を盗み、俊足を生かすことを徹底して徐々に出番を増やしていった。ひょうきんな性格でチームのムードメーカーとなり、引退後は明るく嫌みのない解説で選手やファンから親しまれた。解説者として同僚だった横浜の大矢明彦監督は「いつも笑顔を絶やさなかったあの元気者が…」と早過ぎる別れに驚きを隠せなかった。 (時事通信)


80〜90年代にかけて、
フジテレビの「プロ野球ニュース」は贅沢な野球ニュースだった。
その日に行われたセパ6試合を
1試合ごとに各アナウンサーと各解説者がお届けする。
プロ野球だけで1時間近く。
まさにプロ野球ニュースだった。
西本幸雄、別所毅彦、関根潤三、大杉勝男・・・
とても豪華な解説陣。
地方の試合でも決してダイジェストにはせず、
地方の放送局からしっかりと伝える。
野球人気の低下が叫ばれる現在では有り得ない番組だった。

そんな解説陣の中に加藤博一氏はいた。
現役時代、万年Bクラスの横浜大洋で
高木豊、屋敷要と「スーパーカートリオ」などと呼ばれた。
めぼしい活躍をしたのかと言えばそれほどでもない。

しかし、現役引退後明るい性格は解説者として大成した。
ただ、加藤博一氏の解説は他の解説者とはちょっと違っていた。
基本的に技術的な事は言わない。
いや言えなかったのかもしれないが。
メンタル面重視の解説。
「今日の清原はここで自分が決めないといけない。
 そんな気合があのフォークをホームランにしたのです。」
「連敗は自分が止めてみせる。
 その気迫が今日の試合でしたね。」
てな具合。
相方のアナウンサーが技術的なことを聞いても
精神的な解説をする。
そんなやり取りばかりだったと思う。

「プロ野球ニュース」が終わってからも
「すぽると」という狭い番組の中で、
時にはサッカーやバレーボールの話をふられても頑張っていたのだが。

56歳、まだまだ早い。
野球が一番好きだった頃の一番野球を伝えてくれた番組の出演者が亡くなった。

posted by しのいち at 23:37| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 時事ネタのオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月10日

緑のコート

冬場は緑のコートを着ている。

スーツの上から着るコート。
7年前に買ったINEDのコート。
買った中野のマルイはもう今はない。
基本的に物持ちの悪いわたしには奇跡的である。
奇跡といっても
扱いが悪いわたしに耐えてきたコートがえらいのだ。
もともと緑のコートはプライベート向けに買ったのだが、
ちっともコーディネイトなんてものを考えずに買ったため、
どの服とも相性が合わず、
敢え無く「スーツの上に羽織る用」に転向した。

そんなコートを着て今日も仕事に行き、
そんなコートを着て家に帰る。
最近クリーニングに出していないので、
わたし同様にクタクタになっている。
カシミヤのコートとは言うのものの、
前を開けているとヒラヒラする。

1月の夜だというのにそれほど寒くないので
前を開けて夜道をトボトボ歩いている時のことだった。

ポケットに手を入れようとすると、
あまりにヒラヒラするものだから
手はコートの外側ではなく内側を這う。
内側なのにすっぽり手が入った。
ポケットは外側の左右に1つずつしかないはずなのに。

エッと思い、
街灯の下、コートの裏側を見る。
縦に切れ込みのような穴を見つけた。
それは左のポケットの真裏、
縫い目に沿って空いている。
割けたようにも見える穴。

ああ、ついにこのコートも寿命かと落ち込む。
ジッパーを閉めようとコートの右側を身に寄せる。
一応他に穴がないか裏地を確認する。
すると、右のポケットの真裏、
ちょうど左側と同じ箇所に
やはり同じような穴がある。

偶然左右に同じような穴が空いたのだろうか。
それは考えづらい。
なんのための穴なのかまったくわからないが
きっと最初から空いていたのだろう。
左右のわき腹にあたる場所。
どおりでお腹が冷えやすいのか。

緑のコートの命はまだ続く。
7年間も着ているくせに
何も分かろうとしない、知ろうとしない主の手によって。

がんばれ緑のコート。
posted by しのいち at 23:50| 東京 ☀| Comment(7) | TrackBack(0) | いろんなオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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