2012年03月22日

程度のいい言い訳

行きつけの店だと友達を誘いながら、
道に迷ってしまった時。
みんなのお腹をこわした原因が
どうやらわたしのお土産だと薄々バレてしまった時。
そっと小出しにしていた屁が
思っていたよりも臭ってしまった時。

わたしは謝る。
案外すぐに謝る。

でも言い訳をする。
結構言い訳をする。
屁理屈加減もなかなかのもの。

だから残るのは言い訳だけ。
とてもヤな感じだ。

じゃあ、それをなおそうか。
そんなつもりで書いた訳じゃない。

3年ぶりに書き始めて、すぐに再び休止。
仕事が忙しいってことにしとこうか。
風邪をひいていた、いっそのことインフルってことにしようか。
いやいや、子供の世話が大変で・・・。
どれもつまらん言い訳ばかりだ。

「言い訳されても何にも変わらないんだから、さっさとやれよ。」
クレームで取引先から言われた言葉。
それもそうだな。
言い訳文集を作る訳じゃないし。
詫びる日記ってなに?

さっさと書くか、またこれから。










posted by しのいち at 01:25| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | いろんなオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月16日

ちいちいぱっぱ

実は地井武男に憧れている。
ハンチングを被り、散歩をしているちいさんに。

平日朝のワイドショーを過ぎた時間。
なんとも言い様のない狭間の時間。
仕事をしているので基本的にテレビを見ない時間。
そんな時に、ちいさんは散歩をしている。
正確には散歩している映像を流している訳だが・・・。

昨今、テレビ離れが危惧されている。
わたしも離れつつあるひとり。
番組を宣伝する番組や、
もはや驚く気も起きないお店の裏側見せます的宣伝番組、
正直観てて疲れる。
押し売り過ぎやしないかと思う。

そんななか、ちい散歩は
必要最小限の3〜4人程度のスタッフ、
ほぼ打ち合わせ皆無の状態で、
只々散歩しているだけの映像。
いい意味で画面から訴えるものがない。
見てて安心できる。
いっときは録画してまで観ていた。
もっとも番組の後半は通販コーナーであるが、別物と解している。

そんなちいさんが半月ほど前に
目が見えなくなったとかで休養との報道を見た。

知った後、気掛りだった。
目が見えないって散歩はどうするんだ。
別番組の滝口順平亡きナレーションしかり、
やっぱりちいさんじゃないとダメなんだと。

ようやく続報が伝えられたが心臓疾患とのことで、
しばらく休養は続くらしい。


テレ朝さん、
お店の裏側見せます的宣伝番組を盛り上げた責任として、
ちい散歩のような番組はやめないでね。

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2012年02月09日

リフレクソロジー

駅からの帰り道、
最近まで和菓子屋さんだった跡に
足裏マッサージの店が開店した。

リフレクソロジー。

男であるからなのか。
一度だけ利用したことがある程度。
昔はなじみのない言葉だったと思う。
でもこの言葉にどうしても反応してしまう。

リフレ・クソ・ロジー。

くそ・・・。

いい歳して子供の頃のままだ。

ところで、
きっとわたしだけでないし、
今に始まったことでもないのだろうが、
なんで子供って「ウンチ」や「おしっこ」が好きなのだろう。
言葉が。

まだ言葉を発することのできないうちの息子。
わたしが発する言葉で一番笑みを浮かべるのは「ウンチちゃん」。
謎は深まるばかりだが、
なぜわたしは「ウンチちゃん」と発したか、
結局、謎をそのまま継承しようとしている。




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posted by しのいち at 23:28| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | いろんなオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月07日

3足1000円

どれでも3足1000円。

どれでもいいのだ。

上下左右のフックに吊られた靴下。
2足までは容易に選べる。
至って無難な色と柄。
さすがは人気、フックの向こうが見えるほど。

3足目に迷いが出る。
3足とも無難なものでよいのか、
という攻めの心。
だが無難なものが3足もないから、
どれで手を打とうか、
妥協の心が大勢を占めているのが本当のところ。
だからと言って、要らないものは要らない。

どれでもいい。
ものは言い様だ。
こんな時勢にそんな甘い言葉、
霊感商法ってこんな感じか。

結局、3足1450円で買った。
妥協はやめた。
3足1000円のために靴下を買うんじゃない。
たまたま買う3足が1000円かもしれない、
ということなのだ。


書いていること自体が負け惜しみに思えてきた。
やめよっと。


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2012年02月05日

ケトル

ケトル。
毛取る。

止められない趣味がそこにはある。

我が家のじゅうたんに付着した毛を
取り除く一連の作業。
これがたまらなく病み付きになる。

掃除機をかけた後にガムテープを持ち出す。
10センチほどに切ったテープを
じゅうたんに貼っては剥がしてを繰り返す。
この時、特筆すべきなのは、
ただ闇雲に貼っていくのではなく、
這うように顔をじゅうたんまで近づけて、
確実に標的を定め、都度適切なテクニックを用いていること。

適切なテクニック。
それはまず標的とじゅうたんが、どの程度絡み合っているのか。
まずはそれを知ることから始まる。
じゅうたんの毛の上に載っているだけなのか、
はたまた、毛の根元まで絡み合い、
言わば癒着膠着状態なのか。

軽度であればテープを指で抑える程度の力で貼り、
素早く剥がす。
だが、癒着膠着状態の場合、
テープを貼った上から手のひらで叩く。
もちろん、テープは未使用状態であること。
そして剥がすとき、標的をちゃんと捉えているのか、
そして捉え続けているのか、
這いながら確認し、慎重にゆっくりと剥がしていく。
かつ大胆になる必要はない。

抜かれた毛はテープに捕らわれたまま、
ごみ箱付近に集められる。
ごみ箱の中ではなく、
ごみ箱付近に集めているのは、
最後に本日の成果を確認したいためである。

ところがテープによって捕らわれる毛は約8割で、
残り2割は別の方法を検討しなければならない。
ガムテープのどんな最新最善の方法でも抜けない毛。
こうなったら力と力の勝負をするしかない。
ピンセットを持ち出し、
1本ずつ抜いていくことになる。
しぶとく絡み合った毛が抜かれていく様は、
立退きを拒否し続けた上での行政代執行を感じる。

そうやって30分ほど。長いと1時間。
ごみ箱の前に集められた毛を確認し、
なんとなく満足できる量であると、
その日の作業は終えるのである。

で、この毛取り、公に趣味と言ってよいものだろうか。
posted by しのいち at 00:48| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | いろんなオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月01日

あめちゃん

あめちゃんは関西のオバちゃん達だけのものなのか。

そんなことはない。
ここにわたしがいる。
オバちゃん達に負けじとポッケには
必ずあめちゃんをしのばせている。

駅のホームで電車を待っている間。
信号待ちをしている間。
喋り疲れてしまった時。
ため息をつきたくなってしまった時。
事あるごとにあめちゃんを登場させる。
飴玉ではなく、ちゃん付けせずにはいられないほどの親近感。
そのあめちゃんの存在といったら、
ケータイ依存度に匹敵するほどだ。

だが、そのあめちゃんの存在感が
近頃強大しつつある。

これまで、ポッケに入っているのは
コンビニに並ぶスティック飴だった。
車で移動中にトイレで寄るコンビニで
お付き合いで買う程度のもの。

それが物足りない。

外出中や会社帰り、
スーパーマーケットやおかしのまちおかに足が向いてしまう。
フックに吊るされた沢山の種類のあめちゃん達。
味で選ぶか、量で選ぶか、悩んでしまう。
それが楽しい。

だからわたしのカバンには
袋に入ったあめちゃん達が入ってる。
そしてポッケには2〜3ケのあめちゃんが入っている。
ポッケが空になればカバンから補充され、
カバンが空になれば店に足が向く。

たぶん、大震災のような事態が起きても、
あめちゃん達がいれば、少しは持ちこたえられるかもしれない。

でも痩せないな、痩せるはずないじゃないか、こんなんじゃ。






posted by しのいち at 23:53| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | いろんなオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月30日

ガチャピン泣きそう















昨年夏からりんかい線で走っていた、
ガチャピンとムックのラッピング列車。
15th_anniversary_special_p15_l.jpg
女性専用車両かと思いきや、ガチャピン専用車両。

仕事の移動中、一度だけ乗り合わせたことがある。
最初は乗るのが少し恥ずかしかったが、
ひらけポンキッキで育った世代。
なんかうれしかった。
ガチャピン、ムックは今でもおともだちなんだな。
以後、もう一度会いたいと思ってたが
会えずじまいで今日まできた。

明日はりんかい線にも埼京線にも乗る機会はなさそうだし・・・。
「走っているのを見かけたら、バイバイって手をふってね。」
のガチャピンのコメント。
自分が36歳のいい大人で分かっているはずなのに、
本気で悲しくなっちゃった。

必ず帰ってきてね、ガチャピン、ムック。
111130GMtabi5.jpg
posted by しのいち at 23:04| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | いろんなオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月29日

夢と現実の狭間

休みの日だというのに、
平日と同じ時間に起きた。
目が覚めたというよりも
家事をしている妻の手前、
一度覚めてしまった以上起きざるを得なかった。

でも無理は無理だ。
案の定、朝食後コタツに入っていると眠くなる。
コタツだと乾燥するため、
ひきっ放しの布団にもぐる。
まもなく就寝。

どれくらい経っただろうか。
眠りが浅くなってきたらしい。
でも身体はまだ動かない。
わたしのそばで子供の声がする。
そして、頭上には妻の気配がする。
妻は両手をそろりと伸ばしてきている。
早起きしたくせに飯だけ食ってまた寝てしまった、
そんなわたしをきっとくすぐろうとしているのだ。
くすぐられて目を覚ますのは嫌だ。
起きだした脳が、まだ眠っている身体を起こそうとしてみる。
起きるのが先か、くすぐられて悶絶するのが先か。

「うひゃひゃひゃ」
やられた。
くすぐられた。
途端に目が覚めた。
最悪だ。
と、思った。

目を開けると誰もいなかった。
襖を開けた、隣の部屋で妻は子供に授乳していた。
妻は言う、
「なんか変な笑い声がしたけど、夢でも見た?」
そう、夢だった。
寝ている間にくすぐられて目を覚ますという夢。
「うひゃひゃひゃ」の声だけ現実とリンクしたらしい。

夢を見ている夢。
こんな夢を見ているようでは疲れなんか取れっこない。



posted by しのいち at 00:41| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | いろんなオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月28日のつぶやき

shinoiti51 / しのはらこういち
「マクド入店禁止?対応に疑問も」 http://t.co/XVJM5tab #yjfc_morals (道徳とマナー)
電源つないで、椅子の上で胡坐かいて、ゲームで籠城してる客。そっちの方がどうかと思う。
 at 01/28 22:31

shinoiti51 / しのはらこういち
<ドコモ通信障害>スマホ急増でパンク 対応後手に(毎日新聞) - Y!ニュース http://t.co/8kHOLsCt
最初からわかってたことなのにね。
 at 01/28 21:08
posted by しのいち at 00:01| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月28日

乗務員のお供

JR北海道の快速列車の男性車掌(62)が乗務中にスポーツ新聞を読んでいたことが26日、わかった。
 同社の発表によると、車掌は25日午前、札幌発小樽行きの区間快速列車(3両編成)に乗務し、銭函―朝里間、朝里―小樽築港間を運行中、後部乗務員室で新聞を読んでいた。
 乗客からの指摘を受けた同社で調査した。調査に対し、車掌は「ダルビッシュ(投手)の記事が気になった」と話している。
                                       (読売新聞)

調査の内容を推察する。
JR「おい、新聞のどの面を読んでたんだ?」
  「野球か?サッカーか?相撲、芸能面、釣り、どれなんだ?
   まさかお前、真ん中の風俗面か?」
車掌「ふつう道民として、なまら気になるっしょ、ダルビッシュ。」
といえば、許されると思ったのかな。
で、JRはなぜ読んでた記事の内容を発表したのか。
わからんけど、どうでもいいや。


ここからはわたしの思い出話。
母の証言も参考にしながら。


6歳の頃だったと思う。
わたしが住んでた田舎は、
へき地や過疎地などと言われる半日村のような地域であり、
当時車の免許を持っていなかった母は、
日用品や食料品を買出しにわたしと弟を連れ、よく電車で街まで出ていた。
身延線という無人駅ばかりの単線。
鉄道が好きだったわたしは
この買い出しが何よりも楽しみだった。

ある日、買い物が終わり帰りの電車に乗った時だった。
わたしは別の車両に一人で乗りたいと言い出した。
大人の一歩を踏み出したかったのか。
なぜそう思ったのかよく覚えていない。
母をそれをあっさり許してくれた。
自分で言うのもなんだが、小さいときはあまり手のかからない子供だった。

わたしはガラガラの車内で、4人掛けのボックスシートを独り占めにしたり、
トイレのドアを開けたり閉めたり、
車内で切符を切る車掌さんを凝視したり、
とにかくやること沢山。
これこそ好奇心と言うのだろう。
ただ、6歳児の注意力とはあまりに微々たるものだった。

窓を見ると普段母と乗っているときには
見たことのない景色が見えた。
我が家が見える。
ぼう然と見る。
そして過ぎていく。
本当は電車から我が家が見えてはいけない。
それは乗り越さないと見えないはずの位置だから。

状況を整理できないがマズイことになったことには違いない。
母を探しに車両から車両へ歩き回った。
でもどこにもいなかった。
6歳児の絶望だ。
泣いた。たぶん大声で。
ガラガラの車内だから泣き声は響いたと思う。

気付いてくれた車掌さんにヒックヒックしながら訴えた。
降りたかった駅が過ぎちゃったこと。
お母さんがいなくなっちゃったこと。
切符はお母さんが持っていること。
お金を1円も持っていないこと。
何にも持っていないのに電車を乗っててごめんなさい。
家に帰りたい。

車掌は一生懸命訴えを聞いてくれていたんだと思う。
落ち着きを取り戻し始めたわたしから、
母の名前と電話番号を聞き出していた。
ただ当時はケータイなんぞ無い時代。
4つ先の有人駅で降ろされ、
わたしの処遇は車掌さんから駅員さんに引き継がれた。

わたしは普段駅員しか入れない事務室に入ることができ、
乗り過ごした悲しさなど忘れていた。
駅から連絡をもらった母はと言えば、
当然降りてくるはずのわたしがいなかったことに、
さらわれたのか、電車から転落したのかなどと
もっと大きなスケールで心配しており、
国鉄(当時)ではなく、警察に電話しようとしていたところだったらしい。

次に来る反対方向の電車に乗せるから
母には駅まで迎えに来ていてくださいということになった。
30分ほどその駅で駅員さんと遊んでもらった。
反対方向の電車が来ると、乗せてもらった、運転室に。
電車好きにはこの上ない栄誉だが、
事情が事情だけに、送り届ける使命の下、そうなったんだと思う。
運転席の隣、補助席を下ろし、ちょこんと座っていた。
途中、運転士さんが、さきいかをくれた。
わたしはさきいかを口の中でクチャクチャしながら、
ただただ運転室からの絶景にぼけっとしていた。

日は暮れていた。
駅には母と弟、近所のおばさんも来ていた。
やっと帰れた。
いっぱい泣いた。
でも楽しかった。
30年前の車掌さん、駅員さん、運転士さんありがとう。




でも、運転士さん。
なんで運転中にさきいか持ってたの?










 
posted by しのいち at 02:03| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道のオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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