2006年12月25日

クリスマスをめぐる冒険(前編) イブの誓い

昨日、わたしはある誓いをした。

それは・・・

ケーキを独り占めにするという野望を貫徹することである。


あえて言わせてもらう。
別にクリスマスで騒ぐ世間から逃れ、
独り寂しくケーキだけでもクリスマス気分を味わおう、
というしょっぱい話ではない。

おととい、ちゃんとケーキは食べている、
キムチ鍋しながらだけど。
それなりにクリスマス気分は味わっている。

だが、そのケーキにはナイフが入れられた、
切り身である。
わたしが食べたい、いや食いたいケーキはそうではない。
わたしが食らいたいのは誰からも侵されていない、
真っ白なケーキを贅沢に
ナイフをいれず、スプーン1本で
攻めるように食べていくことなのである。

そこでひとつの疑問が生じる。
そんなこと、いつでも出来る事だろうと。

しかし、30を越えたいいオトナ。
そんなことのためにケーキが使われるなどと
悟られないにしても、不自然さは拭えない。
「子供の誕生日なんだ」と言い訳するのもいいが、
心の奥底にあるなんとなくの情けなさを気づいてしまうだけである。

だから、クリスマスはわたしの野望を実行に移す
大義名分なのである。

この野望には、見せ場がある。
クリスマスケーキはクリスマスだからクリスマスケーキである。
当たり前のことだが、言い換えれば、
クリスマスケーキはクリスマスが終わるとただのケーキとなる。
世間のおとうさんやカップルが並んで買っていたケーキが
用無しになってしまうのだ。
つまり、用無しになったケーキは安く売られる。

わたしのそのタイミングを狙っているのだ。

ターゲットは我が家の近くのコンビニ3店。
駅からの帰りの途中、そのうち2店を偵察してきた。

まずはサンクス。
ここは近くとはいえ、5分以上歩くことになる店である。
9時30分現在、ケーキは平積みで10個はある。
あればあるほど、余る。期待できる。
ただ、ここは商店街の中にある店、
油断はできない。

次にセブンイレブン。
家から最も近い。
だがこの店、9時45分現在、大きなケーキは1個のみ。
わたしは愕然とする。
しかし、まだ在庫があるのかもしれない。
タイムリミットが迫っているにも関わらず、
店頭に出し忘れたケーキが。
まだ諦めてはいけない。


さて、わたしは今、英気を養っている。
決行は11時45分と決めた。
もし、荻窪のコンビニでケーキの前にて挙動不審の男がいれば
わたしである。
決して失笑することなく、
ぜひ温かく見守っていただきたい。


このトピック、前編と言うことは、もちろん後編がある。


posted by しのいち at 23:05| 東京 | Comment(4) | TrackBack(0) | いろんなオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月21日

手も足も出ないときの組合 その後

とある役所のとある掲示板。
4ヶ月前に来たこの掲示板の前にまたも来てしまった。

Image028.jpg

最後の最後に頼るのがこの組合?
と言わんばかりに、絶望感に満ちたこの字体。
4ヶ月前と変わっていなかった。
まだ存続していた。

そして無意味に強いメッセージ。

Image027.jpg

相変わらず、心に響かん。
中国の潜水艦隊の能力増大にいったいどうしようと言うのか。

それこそ、手も足も出ないのではないか。
posted by しのいち at 01:00| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | いろんなオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月11日

東京のおじいちゃんおばあちゃん

もはや昨日の日記だけど・・・。

昨日、茨城の結城に行ってきた。
そろそろ行かなきゃいかんと思って。

結城には母方の祖父祖母のお墓がある。

わたしの家には、産まれた時から、
おじいちゃん、おばあちゃんはいなかった。
父方の祖父祖母はわたしが産まれる前に亡くなっていた。
だから、実質わたしのおじいちゃん、おばあちゃんは
母方の祖父祖母だった。

わたしの母の実家は東京・蒲田だった。
そして、祖父は多摩川沿いの小さなレンズ工場を営んでいた。
母の兄嫁と折り合いがあまりよくなかった祖父祖母は
よく静岡にあるわたしの田舎に来ていた。
それも1ヶ月単位でのことだった。
後になって知ったことだったが。

わたしが子供のころ
「東京のおじいちゃんおばあちゃん」が来る知らせを受けると、
弟とともにそれはそれは喜んだ。

おじいちゃんとおばあちゃんは、
鈍行列車に揺られてくる途中、
かならず横浜の駅で崎陽軒のシュウマイを買って来てくれる。
近所へのお土産分と合わせて常に10箱はあった。
味もそうだったが、ひょうたん柄の容器に入った醤油で食べるの好きだった。

それから、普段我が家ではまったく見ることのないビール瓶を
ケースごと酒屋に注文する。
(母方は飲める家系なのだが、わたしの父は一滴も飲めないため)
わたしと弟は栓抜きで、どんどんビールの栓を開けていく。
スポッと抜ける音が堪らなかった。
するとおじいちゃんは、
「そんなに飲めないよ〜」と言いながらもいつもニコニコしてた。
「もう駄目だぞ」といいながら、だっこしてくる。
アルコールの匂いとおじいちゃん特有の正露丸に似た薬の匂い。
嫌いじゃなかった。

いい時代だったあ・・・。

91年におじいちゃんが、95年にはおばあちゃんが亡くなった。
ともに80歳を越え、大往生と言えば大往生だった。
でもいくつでも、親しい人が亡くなるが悲しいのに変わりはない。
そして、風化することはあっても
新たな思い出が増えることはもうない。
だから、せめてもの記憶が風化しないように、と思って、
年に1回必ず墓参りをすることに決めている。
わたしはどちらかと言えば無宗教な人間だが、
どこかで見守っていてくれると信じている。
だから、今年一年の報告を話に行ってきたのだ。

今年ももうすぐ終わってしまう。
あいにくの雨だったが、
昨日ぐらいしか時間が作れなかった。

雨の中、無意味だと思いながら、
墓石に沢山水をかけてやった。
そして、おじいちゃんとおばあちゃんがいつも飲んでいた、
キリンビールを一緒に飲んだ。
(水受けの代わりに注いだ。ホントはいいのかわからないけど・・・)

そんなこんなで、少しばかり昔のことを思い出し、
懐かしい話をしてしまった次第。

Image025.jpg

ちなみに折角だから何か写真を撮ろうと思ったけど、
おじいちゃんおばあちゃんの墓石を写して、
心霊写真を撮るわけにもいかないので、
30分以上待ちぼうけを食らった無人駅のホーム。

感情ばかりが先行したこの記事、面白くないでしょ?
posted by しのいち at 00:20| 東京 ☁| Comment(9) | TrackBack(0) | いろんなオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月06日

コンパクトエコ

いきなり注釈。

私の身長は161cmである。
つまりはチビである。
これまでささやかな抵抗として
公称165cmとしていたが、
実はそうなのである。

そして、「エコ」。
これはとって付けただけ。
タバコは吸うし、酒を飲みすぎると口から大地へお返ししてしまう。
親父からしっかりイビキを受け継いでいるし、
大家さんからはごみの分別について注意されてしまう。
とてもロハスクラブ会員の風上に置いておけない。

ところで、なぜこんな事を話しているのか。
それはつい先ほど、腹立たしい事があったから・・・。



仕事後に餃子をツマミに飲んできた。
ほろ酔い気分である。
荻窪に着き、我が家を目指す。
アルコールで温まった体も外の寒さには堪える。
必然的に足は速まる。

以前このブログで書いたかもしれないが、
わたしは酔った帰り、オヤジ狩り対策をとっている。
それは大声で独り芝居をうつか、鼻歌を唄う。
今日は、まだ時間もそれほど遅くないこともあり、
鼻歌を選択した。

駅からの家路を半分ほど歩いた辺り。
カップルを追い抜いた時の事だった。

後ろから
「そう言えば・・・」の男の声。
その続きの言葉が耳に入ってくる。

「そう言えば、ちっさいオッサンってちょこまかしてねえ?」

それに続く女の大きな笑い声。
「ああ解かる。余裕が無さそうっていうか、でも小回りがききそうでよくない?」

「シッ!ばか、聞こえるじゃん。」
と男の注意。

おい、「そう言えば」は何を指してる。
オレのことか。
現代文の勉強が苦手なわたしでもわかる。
それに女、解ろうとするな。
小回りがきくのは大きいぞ。
電車の狭い座席の隙間に収まったり、
低い天井で屈まなくていい。
GAPの服なんてキッズサイズで対応できる。
「ちいさいオッサン」にもショックを受けたが、
鼻歌の選曲が今日に限って、
渡辺美里のマイレボリューションだった。
時代錯誤を感じる。
これは仕方ない。

一度だけ振り返る。
そこには男も女も180cmぐらいあるだろうか、
スマートなカップルがそこにはいた。

ちょこまかしてたっていい。
さらに足の回転を速めて、帰ってきた次第だ。

こんな愚痴を書くと株が下がるんじゃないかって。
そもそも「しのいち株」は上場なんてしませんから。



posted by しのいち at 23:58| 東京 ☀| Comment(5) | TrackBack(0) | いろんなオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月29日

895179

いったい何の数字なのか。

これはわたしが上京して
最初に住んだ部屋で使っていた電話番号である。

だからどうしたというのか・・・。

89−5179
ハチジュウキュウゴウイチナナキュウ

読み方を替える。

ハクコウイチナク

そうだ、「吐くコウイチ泣く」。
吐くこういちは泣いてしまうのだ。

当時、NTTより偶然与えれたこの番号を
どうにかして何かに活かしたかったが、
その何かがわからなかった。
そんなもの、永遠にわかるはずもないのだろうけど。


さて、所変わって電車の中。

シートに座っていたわたしの前に
学生だろうか、
両手につり革を持って立っている。
だが、その姿は立っているというよりは
つり革に支えられ、もたれている。

その若者は酔った帰りなのだろう。
なにやら異音がする。
その異音は次第に明確なものへと変わっていく。
嗚咽だ。

もたれている若者とその正面のわたし。

それは、至近距離でロックオンされた獲物の構図である。
蛇に睨まれた蛙。
まさに凹と凸の関係。
避けることに出来ない危機がそこにはある。

その若者を見ると目には涙が。
これは本物だ。
バースト寸前。
これを回避するには手段はひとつ。
逃げるしかない。

わたしは自らの領土を放棄し、席から立ち上がった。
そして、その若者は力尽きたかのように替わりに席に座った。
助かった。
これで放射を浴びることから逃れられる。

ところがこの若者。
席に座ったとたんに
嗚咽がピタリと止まった。
カバンからマンガ本を取り出し、読み始めた。

なんと芝居だったのだ。

男は女の涙には弱いが、
こんなヤツの涙に騙されてしまうとは。
騙す方が悪いが、騙される方にも責任がある。

吐くこういちは泣くが、
吐かれそうなこういちも泣きたい気分だ。
posted by しのいち at 23:53| 東京 ☁| Comment(9) | TrackBack(0) | いろんなオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月17日

1%の価値

ジュースは果汁100%に限る。

そのように悟りを開いたのは、18を過ぎてからのことだった。
大人の味覚デビュー。
それは、ビールの苦味を旨味と思えたのと
ほぼ同時期のことである。

コーラやサイダーのような弾けた派手さはない。
だが、ファンタが無果汁であることを知り、
果汁風味飲料だったということにうろたえた。
一方、100%ジュースはいくつもの果実を搾った贅沢な飲み物なのである。

近頃、コンビニで買う飲み物と言えば、ビールばかりなのだが、
気になる飲み物を見つけた。

Image0141.jpg

昔懐かし「マミー」である。
別に昔から飲んでいたわけでもないが、
なぜか懐かしい。

甘ったるい乳酸菌飲料。
パッケージはまさによい子の飲み物。
大の大人がパックからガブ飲みするには少々気が引ける。

ところがこのマミーはただのマミーではない。
「冬のマミー」なのだ。

スーツ姿のわたしは、
節目がちのまま、「冬のマミー」を買う。

久々に甘ったるい乳酸菌飲料を飲む。
もちろん、ガブ飲みではない。
かわいく、ストローを通して・・・。

やっぱりマミーだった。

味からは冬らしさが伝わらない。
そもそも、マミーに冬らしさがあるのが間違いなのか。

パッケージを見る。
「冬のマミー」のとなりには「温州みかん」の字。
その下には、但し書きのような「果汁1%」。
確かに違った。
通年飲めるマミーとは1%違う。

ただ、この1%の存在感はどこに。

人生は99%の運と1%の努力だ、という人がいる。
生まれた時点で人生の大方は決まっているという。
わずかに割り当てられた枠の中で人は必死にもがく。
なんだか、切なくなる。

では、マミーの海で温州みかんはもがくことが出来たのか。
500ミリに対して、スポイトで垂らされた程度の温州みかんが。

残念ながら、その努力はわたしの舌には届かなかった。
かわいいパッケージの裏では、実に切ないストーリーが繰り広げられているのだ。

なぜ、森永乳業は温州みかんにわずか1%のチャンスしか与えなかったのか。
いや、そこには絶対意味があるはずだ。
1%でも成せることがあるから1%なのだ。
次回は、この1%の価値をかみ締めて、マミーを飲みたい。


こんな妄想を抱きながらマミーを飲む大人は他にはいないだろう。




posted by しのいち at 00:22| 東京 ☁| Comment(7) | TrackBack(0) | いろんなオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月13日

単品よりもセットがお得

ポテトはいかがですか。
お飲み物はいいかがですか。

ファーストフードによくある光景。

1個のハンバーガーにいろんなものをつけて、
最後にちょっとだけ値引きするセット販売。
確かにすべてを単品で買うよりも
安いことは安いが、
抱合せ販売を感じる。
罠を感じる。

所変わって
とあるそば屋。
わたしがよく行くそのそば屋は、
立ち食いそば屋に毛の生えたようなもので、
カウンター席が6つほどの小さなお店。
案外、安くて美味いのがウリ。

今日もその店で、そばを食べた。
冷やしたぬきと卵丼のセット、400円也。

冬でも冷やしたぬき。
汁に漬かり切っていない歯ごたえのある揚げ玉と
冷水で締まったコシが好きだ。
そして、卵丼。
卵でかまぼことたまねぎがとじてある。
チープなB級グルメだが、ボリュームが堪らない。

その店は食券制で、入り口にある券売機で食券を買う。
だから、めったにお品書きを見ることはない。
今日は、普段食べる「冷やしたぬきと卵丼のセット」以外に何があるのか、
食べながら店内のお品書きを見てみた。

すると、驚愕の事実を目の当たりにする。

「冷やしたぬきそば 420円」
セットよりも安い・・・。

ちなみにセットについてくる、ミニ卵丼は240円。
つまり「冷やしたぬきと卵丼のセット」をそれぞれ単品で買うと、
420円+240円=660円。
260円のお得。
こうなれば、わたしでなくとも、迷いなくセットを選ぶだろう。

果たしてこれも罠なのか。
それとも単に店の価格設定ミスなのか。

真相がわからないので、
店の名称は伏せて、しばらく黙って通ってみよう。

posted by しのいち at 02:57| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | いろんなオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月10日

松坂効果

帰り、コンビニに立ち寄り、
弁当とビールを買う。

レジ待ちの間、
ケータイでニュースを読む。

松坂大輔ポスティング入札締め切り。
入札額は日本円にして35億円か。

もはや、イメージの湧かない金額だ。
記事によれば、この入札額で西武球団は
経営の建て直しを図るんだとか。
松坂はそれを承知の上で、
是が非でも今オフの移籍にこだわったとも書かれている。

つけられた高い評価に驚きだが、
さりげなく恩を返す大人の姿勢にも驚きである。
まったくもってわたしでは真似の出来ないこと、
あり得ないことである。

ただ、わたしにはわたしなりの背丈で出来ることがあるはずだ。

そんなことを考えながら、
家に帰り、晩御飯にしようとした。
ビニール袋を開けながら、
あることに気づく。

弁当忘れた。

弁当を温めてもらっている最中に
帰ってきてしまったのだ。

まったく頭が悪い。
気づくのが遅すぎる自分にがっかりだ。
かと言って、片道10分の道を戻って、取りに行くのは、
面倒で恥ずかしい。

と言うことで、今日の晩飯は、
ビールと冷蔵庫にあった漬物のみ。


わたしなりの背丈で出来ることって・・・。
posted by しのいち at 01:23| 東京 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | いろんなオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月01日

避けて通れない道

暦は早や11月。
すっかり秋めいた。
冬の足音だって聞こえていいくらいだ。

暑い夏、
これでもか、というぐらい濃い緑をしていた木々は、
これもですか、というぐらいに葉を落としている。

秋と言えば、「食欲の秋」とも言い、
秋ならでは美味しい食べ物を挙げよ、
と言われたら、
キリがない。

秋刀魚、梨、なす、柿、栗・・・銀杏。

そう、存在そのものは地味ながら、
秋の美味である銀杏。
これができるのは、イチョウの木。

わたしが駅まで抜ける道の途中、
大きなイチョウの木がある。
紅葉を奏でる樹木のひとつ、イチョウ。
塗りたくったような黄色をしている。

だが、このイチョウはもうひとつ奏でるものがある。
それはニオイ。

ご存知、銀杏は臭い。
まるで、イチョウがうんこをしたようだ。

この時期、そのイチョウの木の前を通るが辛い。

やったことがあるだろうか、
自分のおならのニオイを嗅いだことを。
臭いけれども自分が発したもの。
許される。
だが、他人のおならには人間の嗅覚は
厳しい批評を下す。
最上級のしかめっ面になる。
このイチョウはそれと同じなのだ。

自分に甘く、人には厳しいわたし。
イチョウにも厳しい。
前を通ると、嗚咽がする。

では、息を止めて通ったらどうか。
無意味な好奇心が、
そのブロックを一時解除してしまう。

行きと帰り。
ここ最近、一日に2回、避けては通れない難関なのだ。

今の時期はそれほど寒くもなく、
過ごし易いいい時期だ。
だが、この臭い季節。
あとどれくらい続くのだろうか。



posted by しのいち at 23:55| 東京 ☀| Comment(10) | TrackBack(0) | いろんなオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月30日

たばこ屋のおばあちゃん(足立区)

なんで(足立区)なのか。
前のブログでうちの近所のたばこ屋(杉並区)についても書いたから。

それは先日のこと、
仕事で足立区に行った時だった。

たばこが切れてしまい、
たばこを買うことに。

屋外に出ていたわたしは
自販機を探す。
うらぶれてはいるものの
たまたま居たのは商店街。
簡単に見つけることができた。

Image0061.jpg

最近、わたしが吸っているのは、
セブンスターREVOウルトラライト。
紫のパッケージがちょっとお洒落だ。

コインを入れてボタンを押す。
たばこが下から出てくる。
それを取り出し、ポケットに入れる。
さあ、仕事に戻ろう。

ところがだ。

そのパッケージは緑だった。
同じセブンスターREVOでもライト。
ちょっと重めのテイストになってしまう。

たぶん、まちがえて隣のボタンを押したのだろう。
だめなおれだ。
もう一度、買うことにする。

コインを入れてボタンを押す。
たばこが下から出てくる。
それを取り出し、ポケットに入れる。

いや、今度はポケットに入れようともしない。
やっぱり、緑だ。
これは文句を言わなければ。
替えてもらわなければ。

たまたま、この自販機はたばこ屋の前にあった。
十中八九、自販機はたばこ屋のものだろう。
たばこ屋、お約束の小さなガラス窓をあける。
窓の向こうには人がいない。
少し、大きめかつ不機嫌そうな声を上げて、呼ぶと、
奥から70くらいだろうか、おばあちゃんがやってきた。

事の顛末を説明すると、
「ごめん、ごめん、それは悪かったねえ」
と非常に申し訳なさそうにしながらも、
そんなはずはないんだけど、と
自販機の中を開ける。
縦一列に並ぶ同じたばこ。
そとのディスプレイと照らし合わせながら、
セブンスターREVOの列を見る。

するとあることに気づく。

セブンスターREVOウルトラライトの列だけ、
同じたばこが並んでいない。
緑のうえにシルバー、緑、緑、シルバー・・・水色。
水色はマイルドセブンだった。
なんだこりゃ。
結局、お目当ての紫はない。

わたし同様に目を丸くしたおばあさんも、
ガラスの窓から誰かを呼ぶ。

すると、今度はおじいさんが店の外に出てきた。
自販機の補充をしたのは、このおじいさんらしい。

「ごめん、ごめん、途中のままだったんだ」
とわたしとおばあさんに詫びる。
だが、おじいさんによれば、
セブンスターREVOウルトラライトがなかったため、
どうしようか考えながら、
補充を途中でやめてしまったとのことで、
つまりは品切れってことである。

じゃあ、別のたばこに取り替えてもらおう、
ということでマルボロのメンソールに替えてもらった。
ここのおばあさんにはマルボロは違和感が無かった。

おばあさん、おじいさん、二人して謝ってばかりいる。
お詫びにとライターを二つくれた。
とうに怒る気はすっかり失せている。
「こちらこそ、無理言ってすいませんね」
と、むしろわたしまで恐れ入ってしまった。

たかが、たばこを買っただけなのに、
「ありがとうございました」
わたしの後ろでおばあさん、おじいさんが見送ってくれた。

たばこを吸わずにいい一服ができた出来事だった。


自販機は便利だけど、対面で会話してモノを買う方がいいなあ。
posted by しのいち at 00:35| 東京 🌁| Comment(6) | TrackBack(0) | いろんなオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月21日

お詫び

何をお詫びするのかって
わたしの体たらくさ。

seasaaでお会いしましょう、
なんて言っときながら
記事を書きやしない。
更新しやしない。

まるで、お店で店員に訊いたうえで、
フロアに行ったのに、
そこには商品が無かった、ぐらいなモヤモヤ感だ。

ということで、せめて牛歩並みの更新でもしなくては。
posted by しのいち at 23:42| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | いろんなオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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