2008年01月30日

隠し玉成功

 ソフトバンクは29日、オリックスが契約を結ぶと発表していた元巨人のジェレミー・パウエル投手(31)を獲得したと発表した。 
 パウエルは01年から近鉄でプレーし、02年には17勝を挙げて最多勝などのタイトルを獲得した。06年に巨人に移籍、昨年は右ひざ故障で登板7試合、未勝利に終わり、退団していた。
 オリックスは今月11日、単年契約5500万円プラス出来高払い(推定)で獲得したと発表。背番号も「50」に決まっていた。
 ソフトバンクが獲得を発表したことについて、オリックスの広報担当者は「そのような話は聞いていない。早急に確認する」とコメントした。
(毎日新聞)


意表をついた選手の獲得。
それはドラフト会議だけのことではなかった。
ソフトバンクはオリックスに悟られないように
水面下で動いていたのだろう。

にしてもオリックス。
背番号50まで用意して、
契約書はファックスのみって・・・。

その前にパウエル。
一番悪どいのはあんただ。
posted by しのいち at 00:21| 東京 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 時事ネタのオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月23日

布を調える

調布。
わたしが大学時代2年間住んだ街である。
新宿まで15分、渋谷まで20分。
駅前にはなぜか八百屋がテナントに入るパルコがある。
少し足を伸ばせば多摩川がある。
夏の日にビールと本があれば、
草野球を眺めながら一日はいることができる。

わたしが調布を離れてからちょうど10年。
その後、仕事で行ったことはあったが
基本的には用のない街となってしまった。

日曜日、特に深い理由はないのだが、
雪が降るのでないかと言われるような寒さの中、
多摩動物公園に行った。
その帰り、メシにするために調布で京王線を降りた。
10年前と何が変わったのか、確かめたい気持ちもあった。

北口を降りて、最初に思ったのは、
当時友人が来ると必ずと言ってよいほど、
薦めていたラーメン屋「江川亭」が無くなっていた。
店が無くなっていた・・・建物そのものがなくなっていた。
そこには何もなかったかのように道路となっていた。
在りし頃、角煮ラーメンは絶品だった。

メシはよく行っていた居酒屋と決めていた。
何かがとても美味しい居酒屋。
でもその何かが思い出せない。
とりあえず記憶にある道を歩き、店にたどり着く。
ビールを飲みながら食べ物を注文する。
メニューには珍しいことにハヤシライスがある。
そこで思い出す。
美味しい何かはオムライスだった。
で、さらに後で思い出したのだが
そのオムライスにかかっているデミグラスソースが美味しい。
ついでに思い出したのは
そのオムライスを出してくれるのは
居酒屋と同じ系列の洋食屋。
その洋食屋はこの居酒屋の隣。
本当の目的地まではあと10歩足りなかった。

食後、布多天神に続く商店街を歩く。
10年前、毎日歩いた商店街。
この商店街には「ゲゲゲの鬼太郎」のオブジェが置かれている。
確か、水木しげるが調布在住のためである。
Image142.jpg
10年前にも鬼太郎のオブジェがあった。
心無い酔っ払いによってよく壊されてもいた。
当時に比べて立派になったように思える。
ここまで立派では壊そうにも恐れ入る。
ただ、見かけることができたのは鬼太郎だけ。
昔はぬりかべもねずみ男もネコむすめもいた。

その他、よく1杯のコーヒーで2時間粘ったドトール、
夜だけ中華料理を出す定食屋、
店は好きではないけれど担当が大好きだった美容室、
それぞれがまだあることを確認した。
いつまでも調布で思い出に耽っていても仕方ないので
いい加減に帰った。

少しでも住んでいたことのある場所はプチ故郷。
たまには帰省してみては。
posted by しのいち at 00:23| 東京 ☀| Comment(6) | TrackBack(0) | いろんなオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月21日

根性と気合の解説

 現役時代は阪神、大洋(現横浜)の俊足外野手として活躍し、明るい性格を生かした野球解説で知られた加藤博一さんが21日、肺がんのため、56歳で亡くなった。
 3人の俊足選手が並んだ1985年の大洋の「スーパーカートリオ」で、加藤さんは主に2番打者。1番を打った高木豊さんは「兄貴のような存在だった。昨年の手術の後、いったん回復され、一緒にゴルフもした。その時『来年(2008年)はバリバリ(仕事を)やる』と話していたのに…」とその死を悼んだ。
 70年に西鉄入りした後、なかなか芽が出ず、相手投手の癖を盗み、俊足を生かすことを徹底して徐々に出番を増やしていった。ひょうきんな性格でチームのムードメーカーとなり、引退後は明るく嫌みのない解説で選手やファンから親しまれた。解説者として同僚だった横浜の大矢明彦監督は「いつも笑顔を絶やさなかったあの元気者が…」と早過ぎる別れに驚きを隠せなかった。 (時事通信)


80〜90年代にかけて、
フジテレビの「プロ野球ニュース」は贅沢な野球ニュースだった。
その日に行われたセパ6試合を
1試合ごとに各アナウンサーと各解説者がお届けする。
プロ野球だけで1時間近く。
まさにプロ野球ニュースだった。
西本幸雄、別所毅彦、関根潤三、大杉勝男・・・
とても豪華な解説陣。
地方の試合でも決してダイジェストにはせず、
地方の放送局からしっかりと伝える。
野球人気の低下が叫ばれる現在では有り得ない番組だった。

そんな解説陣の中に加藤博一氏はいた。
現役時代、万年Bクラスの横浜大洋で
高木豊、屋敷要と「スーパーカートリオ」などと呼ばれた。
めぼしい活躍をしたのかと言えばそれほどでもない。

しかし、現役引退後明るい性格は解説者として大成した。
ただ、加藤博一氏の解説は他の解説者とはちょっと違っていた。
基本的に技術的な事は言わない。
いや言えなかったのかもしれないが。
メンタル面重視の解説。
「今日の清原はここで自分が決めないといけない。
 そんな気合があのフォークをホームランにしたのです。」
「連敗は自分が止めてみせる。
 その気迫が今日の試合でしたね。」
てな具合。
相方のアナウンサーが技術的なことを聞いても
精神的な解説をする。
そんなやり取りばかりだったと思う。

「プロ野球ニュース」が終わってからも
「すぽると」という狭い番組の中で、
時にはサッカーやバレーボールの話をふられても頑張っていたのだが。

56歳、まだまだ早い。
野球が一番好きだった頃の一番野球を伝えてくれた番組の出演者が亡くなった。

posted by しのいち at 23:37| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 時事ネタのオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月10日

緑のコート

冬場は緑のコートを着ている。

スーツの上から着るコート。
7年前に買ったINEDのコート。
買った中野のマルイはもう今はない。
基本的に物持ちの悪いわたしには奇跡的である。
奇跡といっても
扱いが悪いわたしに耐えてきたコートがえらいのだ。
もともと緑のコートはプライベート向けに買ったのだが、
ちっともコーディネイトなんてものを考えずに買ったため、
どの服とも相性が合わず、
敢え無く「スーツの上に羽織る用」に転向した。

そんなコートを着て今日も仕事に行き、
そんなコートを着て家に帰る。
最近クリーニングに出していないので、
わたし同様にクタクタになっている。
カシミヤのコートとは言うのものの、
前を開けているとヒラヒラする。

1月の夜だというのにそれほど寒くないので
前を開けて夜道をトボトボ歩いている時のことだった。

ポケットに手を入れようとすると、
あまりにヒラヒラするものだから
手はコートの外側ではなく内側を這う。
内側なのにすっぽり手が入った。
ポケットは外側の左右に1つずつしかないはずなのに。

エッと思い、
街灯の下、コートの裏側を見る。
縦に切れ込みのような穴を見つけた。
それは左のポケットの真裏、
縫い目に沿って空いている。
割けたようにも見える穴。

ああ、ついにこのコートも寿命かと落ち込む。
ジッパーを閉めようとコートの右側を身に寄せる。
一応他に穴がないか裏地を確認する。
すると、右のポケットの真裏、
ちょうど左側と同じ箇所に
やはり同じような穴がある。

偶然左右に同じような穴が空いたのだろうか。
それは考えづらい。
なんのための穴なのかまったくわからないが
きっと最初から空いていたのだろう。
左右のわき腹にあたる場所。
どおりでお腹が冷えやすいのか。

緑のコートの命はまだ続く。
7年間も着ているくせに
何も分かろうとしない、知ろうとしない主の手によって。

がんばれ緑のコート。
posted by しのいち at 23:50| 東京 ☀| Comment(7) | TrackBack(0) | いろんなオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月09日

新年

1月10日にしてやっと新年のご挨拶。
誰も聞いてねえよ、と言われそうだ。
それもこれも大晦日にひいた風邪がいけない。
毎年、実家のコタツでテレビを見ながら過ごすのが
正月の恒例なのだが、
まさに字の如く寝正月となった。
とは言え、風邪で10日間も寝込んでいた訳ではなく、
新年早々の株価暴落でも箱根駅伝の棄権続出でもなく、
結局は怠惰なわたしの性格のせいなのだ。

新年を迎えた訳だから、
何か新たな誓いをと思ったが、
この歳になると新年に思う気持ちというものも薄れてしまい、
特に考えるところはない。
金はかけているのだろうが、
観てるだけで疲れてしまうテレビの正月特番と一緒、
まったく自分はつまらない人間だと思ってしまう。

ただ、ブログを始めて3年目になる今年は
もう少し更新をしていこうと思う。
最初のころのような切り口を増やして。

もちろん思っているだけなので
実際に更新が増えるかどうかはまた別の問題だけれども・・・。
posted by しのいち at 00:01| 東京 ☀| Comment(8) | TrackBack(0) | いろんなオハナシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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